トリノ五輪が始まって四日が過ぎました。
普段どおり力を発揮するということがいかに大変か、まざまざと見せ付けられています。
私の出身中学・高校の世田谷学園にはこんな言葉があります。
「平常心(びょうじょうしん)これ道(どう)」
この言葉は一般的に、勝ちを考えすぎれば負けてしまう、うまく事を成し遂げようという邪心が物事を失敗へと導く、といった意味で使われる禅の教えですが、私が母校で教えられたこの言葉の意味の解釈は少々違います。
勝とうと思うなであるとか邪心を捨てるといったことを考えている時点で、すでに心の中は平常心ではないのです。平常心であろうとすればするほど平常心とは遠いところへ向かってしまう。
考えるのではなく、心で思うのではなく、そういったレベルを超越することこそこの言葉の真の意味である、と解釈しています。
平常心。考えれば考えるほど難しい言葉であり、こういったことを考えている時点で自分はまだまだ未熟な存在なのだなと考えさせられてしまいました。我が母校の教えはこんなにも深いことであったのかと考えさせられているこの頃です。
山口拓 秘書 藤井真尚